355日、休まず新聞の販売店を経営しながら、仕事の合間で始めたエレベーターコンサル事業。
私は何故か世の中の矛盾に立ち向かおうという性質があるようで、エレベーター業界も不動産業界と同じように隠蔽された情報の中でおかしな体質が根強く残っているのを許せずに、誰もしたことが無いエレベーターコンサル事業を行った。
そもそもエレベーター業界は、三菱、日立、東芝で日本のほとんどのシェアを占めている。
そして設置するときは赤字で売り、何十年と続くメンテナンス契約で利益を上げている業界である。
そのため、絶対にメンテナンス契約を取らないといけない使命を負っているが、メーカーを退職した人間が集まり、どこのエレベーターでもメンテナンスを請け負うという会社が現れたことで、メンテナンスで儲けるというビジネスモデルが崩壊している状況であった。
部品の修理はメーカーのものを使わないと直せないものもあるため、その時はメーカーに部品を売って欲しいというが、納期を遅らせたり高い定価で売るという、1度納めたら独占的な地位を生かすような体質が根強く残っている。
ちなみに赤字で売るからメンテナンスは絶対に死守しなければいけない。
でも失注は許されないから値引き交渉があれば応じなければいけない。
それでどこからお金を搾取するかというので行きついた先は、とても懇意にしていただいている優良なお客様から定価で契約を取り、値引き交渉するお客様には定価の半額程度で契約をすることだった。
本質として誰を大切にしなければいけないかを真に考える必要がある。
あなたの会社が好きなんだ、だからその金額で任せるよと信じてくれた、本当に大事なお客様には値引きなどせず定価でメンテナンス契約を行い、そうじゃないお客様には半額以下で契約を取る。
目の前の課題には目を向けず、目先の利益、目先の契約を優先するようなことが常態化していた。
また、エレベーターのメンテナンス料金は
「定員、速度、停止階数」
で決まっているのだが、たまたま隣に同じ建物があったとしても、値引き交渉するかしないかで何十年と続くメンテナンス費用は変わってくる。
私は、なぜ場当たり的なその場しのぎの行為を当然のごとくするのだろうと常々思っていた。
そこには価格に対するプライドというものは無く、取れる人からお金を取れなければいけないという破綻したビジネスモデルが存在した。
これは本体を売るときも同じであるが、東芝さんが言うなら仕方ないねと信じてくれる良い人ほど定価で契約を頂き、交渉が厳しかったりお金が無いお客様には安く売るということが普通であった。
自分はお客様が差別されるようなそんな仕組みを思い出し、それを変えたいと思いエレベーターコンサルを始めた。
正直、これで儲かりたいということではなく、目指していたものはデータを収集するということをしたかった。
もし世の中の全部の物件の契約内容が分かれば、同じ仕様なのに値段が違う異常な状況に対して問題提起を行うことができ、付加価値を生めない会社は淘汰されるだろうが、本質的な終着点として場当たり的な価格ではなく、適正料金というものが確定値として構築されると考えた。
それにより、誰かが得をしたり良い人ほど損をするという現実を変えたいと思っていた。
実際に数百万円かけて福岡の新聞にエレベーターコンサルのチラシを入れたりもした。
ビル所有者のデータも買い、直接手紙を送ったりもした。
実際には予測していたよりも反応が薄く、毎月高いお金を払わされているのに疑問に思うことなく現状維持を行う人が多いことに理解不能な結果になってしまった。
会社としての信用力が無いことが1番の要因だろうが、目の前に大きなコストダウンの種があるのに、信用に値するかどうかすら見ず、結果として損をしていることすら気が付かない人たちが多いことに驚いてしまった記憶がある。
そんな中でも情報をきちんと拾い、その情報が使えるか使えないかを判断してくれるリテラシーが高い人達もおり、いくつか仕事も取れた。
目立つところで言えば、大濠高校内にある荷物用エレベーター2台を、ひと月数万円減額させたりもした。
ただ、こちらと高校で契約書を取り交わす前に私の初動からすぐ三菱が値段を下げてきたこともあり、高校の担当者から、大変感謝はしているが契約書を取り交わす前だったので報酬は無しでと言われたのはとてもショックな出来事だった。
実際に私が動いたから三菱が減額をしたわけだが、報酬をもらえなかったとしても、人情的な面があればあんなに悲しい気持ちにはならなかっただろう。
ここでもお金という世の中の悲しい現実を学んだ。
ひと月数万円の削減だったので、学校を取り壊すまでを考えると1000万円くらいの削減となるだろうが、結局コスト削減をしたというやり切った思いより、誠実に対応をしてもこのような結果となるというという、ある種の反省としての結果が残った。
それにしても私が値引き交渉に行くだけで値下げをする三菱、言い方を変えると値下げを言えない人は損をする現実が本当に悲しいなと感じた。
別に三菱がどう、東芝がどうという低い次元の話ではなく、人間は頭の良い生き物なんだ、技術も発達して凄いんだ、と皆が思っていることが盲目であり、現にこれだけ進化しているのに自分さえよければいいというお金の概念に縛られている人間の器と社会の構造に大きな欠陥を感じざる負えない。
日本は私の見立てだと、今のままでは数十年後には数パーセントのお金持ちと90数パーセントの貧乏人の2分化された世の中になると思っている。
年収1000万あろうがそんなの誤差の範囲として、一緒に貧乏人の仲間入りになってしまう。
ただ発想を変えると、お金さえあれば幸せになれるという概念自体が間違っていることに気づき、人間として幸せの定義とは本当は何なのかを世界で最初に作れるのではないかとさえ思っている。
超円安になるかもしれないので世界旅行をするとかは難しくなるかもしれないが、別にそこに行かなくても世界の端はネットで見ることはできるし、自動翻訳機能がちょっと進化すれば世界との会話の垣根も無くなるだろう。
その時に大切にするべきことは、たまたま日本という場所で生まれ、日本の歴史を感じて生きてこれたということに感謝し、日本って良い場所なんだよと言うのを世界の人に伝え、日本人って素敵だよねと思われるような、誇りみたいなものを自己満足的に持つことが出来たら、一つの幸せのパーツになるのかなと感じる。
私は、お金の概念を無くすことが人の生き方を楽にする方法の一つと捉えているので、すぐに全ては出来なくても、少しずつお金の依存度を下げて行きたい。
お金を持っていたって自殺する人はいるし、お金で人に恨まれてしまえば殺されてしまうこともある。
生きることって不確定要素の塊で、お金という概念から脱却し、毎日生きていられることに感謝できるようになる世の中になって欲しい。
そして人を喜ばせることが幸せのバロメーターになるような、そんな世の中の構造が作れたら良いなと思う。
話は横道にそれてしまったが、エレベーター業界もだいぶグレーの仕組みで成り立っているが、これは今やっている不動産業界でも同じことが言えるし、新聞業界でも言えることである。
みんなお金というものに縛られ、グレーなことをしないとお金が稼げない構造となっている。
良い悪いという2分された意見をよく聞くが、私はプラットフォーマーの大御所であるGoogleのような会社になりたいと思っている。
少なくとも一般ユーザーに対しては様々なサービスを無料で提供し、変わったところで言えば、スーツを着ないということをモットーとしているようなことをネットで見たが、まさにそのようなことが大切だと思っている。
見た目で仕事を取るような、そんなしょうもないことはしたくない。
真夏の暑いなか会社の言いなりでスーツを着るような非合理的なことはしたくない。
大手だから安心と思う人が圧倒的にいるが、大手になるというのはどういうことか考えてほしい。
大きなビルを持てるということがどういう事か考えてほしい。
もし本当に皆に寄り添っていたら1円でも安く商品を提供するだろう。
そして皆に寄り添う思いがあるなら、リスク分散としての多角経営ではなく、人々と繋がり続けるために様々なサービスを開発し、各々のサービスで少しずつ利益を頂くことを目指、す本当の意味での多角経営を目指すだろう。
残念ながら大手は資本力を生かし有名人を起用したCMを流し、良い会社アピールをして上手に搾取をしている。
そして皆は大きなビルを持っていることが信用のステータスだと思い込んでいるが、それは本来もっと安くできるサービスをそのようにしなかったということを理解して欲しい。
私自身は、Googleのような広告という分野で誰に迷惑をかけることなく利益を上げる形が理想だと思っている。
個人情報を勝手に抜き取っているんだという人間もいるが、個人情報などグーグルがしなくてもどの企業からでもあふれるほど流出している。
当社が目指すところは、お金の概念というものを少しでも無くし、出来るなら誰にも感謝すらされないくらい空気のような存在で人を幸せにしたいと思っている。
誰もグーグルさん有難うなんて言っていないと思うが、グーグルのお陰で仕事も生活も楽になったのは間違いのない事実だろう。
gメールもストリートビューひとつとっても、とてもすごい技術を無料で提供しているが、誰も意識して感謝などしていないと思う。
私は空気くらいの感じで必要とされる存在でありたいと思っている。
そして死ぬときにここまでやり切ったと自分の中で自己満足をして終われるように出来たらいいなと思っている。
どんなに大きなことを成し遂げても、世の中のほんの一瞬の波紋みたいなものである。
例え世界を変えたスティーブジョブスだとしても、死んでしまえばそれで終わりである。
人がいくら感謝しようが、本人には届かない。
ただ、想像ではあるが本人はやり残したことがあったとしても、自己満足はしていると思う。
常にベストを尽くしてきたから世界を変えたと思うので、ベストを尽くして最期を迎えられるなら生き切ったということになるのかなと思う。
毎日悩み、毎日壁にぶち当たり、毎日失敗し、毎日チャレンジをしているが、いつか空気のように人に寄り添える何かを残せたらいいなと思う。
その一つとして、1度チャレンジし断念したエレベーターの料金データーベースを作るかもしれない。
あの頃は時期尚早であり、今も会社の信用度は低いのだが、それでもあの頃の志は変わらずある。
エレベーター業界は私ごときが情報を集めたことで何か変わる訳でもないが、私が得た知識を世の中のみんなが生かすことが出来たら、その時は本当にビジネスモデルを変えるきっかけになるのだと思う。
その一助となるように、今でもエレベーターの相談が来たら乗ろうと思う。
自分が持っている知識を全てオープン化し、誰かの役に立てられたらと切に願っている。
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