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株式会社フレームワークス 代表取締役

(アンドフォート代表)

浦上 利夫(うらかみ としお)
 

前職

新聞配達店経営

外資系生命保険会社代理店経営

エレベーターコンサルタント

​複合機レンタル業

リフォーム業

2002年 東芝エレベータ株式会社入社。
初代社長だった祖父の七光りから脱却するために「最も難しい部署で挑戦させてほしい」と入社面接で豪語し、リニューアル営業部へ配属。
エレベータを設置しているお客様をまわり、耐用年数や法改正の基準を満たさないところを見つけては修繕や部品交換を行う仕事で、東京支社最終年には全国トップの営業成績を叩き出した。
誰よりも多くのお客様をまわるのは当たり前。独自に中長期の整備計画やリニューアルの必要性をわかりやすく可視化し、無駄な出費をしなくてすむように熟慮したプレゼンを行うと、お客様から「よく教えてくれた、ありがとう」と感謝の言葉と拍手喝采をもらった。
この経験から目先の売り上げではなく、お客様にとってのベストを考えることが、喜ばれ、結果につながることを確信し、自分の営業スタイルを作っていった。

2年後、組織の経営方針が変わり環境が変化し、辞めるタイミングが来たと感じた。
新しいチャレンジをしたい、自分の思い通りの経営をしてみたいと考え、結婚した元妻の実家の新聞販売業界へと飛び込んだ。
ネットの普及で右肩下がりの業界にもかかわらず、持ち前の営業の才能を発揮し契約を伸ばし続け、佐賀県内の契約件数1位の記録を8年間更新し続けた。
とはいえ将来は先細りであることから、並行して別の事業にもいくつも取り組んでいた。複合機の販売や生命保険の代理店、エレベーターコンサル会社の設立など、取り組んでは失敗し、また新しい事業にトライする…を繰り返したが、どれも鳴かず飛ばず。

模索する中で、内装業を営む棟梁との出会いがあり、「一緒に仕事をしたい」と言われ、その言葉に全身全霊で応えたいと思った。

えいやっとばかりに新聞販売業をたたみ、内装・清掃業へと没頭していく。賃貸の部屋の退出後の原状回復で、壁紙の張替えをせずに洗浄だけで新品のようにきれいになる技術を編み出し、これが会社を大きく伸ばすきっかけとなった。
リフォームの依頼が増え、管理会社や仲介会社とお付き合いをしていくうちに、不動産業界は千三つ屋(千に3つしか本当のことを言わない)と言われ、顧客を無視して、自社の利益を優先する体質が根強く残っていることを知った。
そんな「闇」の深い、不誠実なやり方を変えるために立ち上げたのが「不動産のアンドフォート」。
業界の不透明な部分をクリアにし、誰もが安心して家探しができるようにする正直者の不動産屋だ。
「誰もが安心して、願う場所に住める、公正で安心さをお客様に届けたい」

結婚2度目の44歳。お酒はまったく飲めない。好きな食べ物はスイカ。グリンピースとホワイトアスパラが苦手。好きなお菓子はヤンヤンつけボー。

ふたご座、血液型はO型。
ストレス解消は歌を歌うこと。好きな歌手は槇原敬之、小田和正、玉置浩二など…。

車での移動中はいつも一人で熱唱している。

もともと涙もろく、映画「つなぐ」「君の膵臓を食べたい」は号泣した。


宮城県富谷市出身。小学校の頃は勉強が嫌いで、どうやって学校を休もうかばかり考えているような子どもだった。サッカーに目覚め、プロを目指すも、中学1年生のときにケガで断念。3年間で3ヶ月ほどしか通わないという引きこもりになる。

やりたいことが見つからず悶々と過ごしていたが、ある時、カセットテープで槇原敬之の曲をきいて「これだ」とひらめいた。両親に2万円のキーボード買ってもらって作曲をはじめたが、段々と物足りなくなり、20万円のシンセサイザーを買うために新聞配達をはじめた。努力をすれば欲しいものが手に入る、という経験が、お金の価値を理解する原体験になった。


心は10代のままなので、外食では条件反射で大盛を注文してしまう。

この3年で12kg太ってしまった。お腹まわりは見せられません…。


私のミッションは「すべての人たちを幸せにすること」。
不動産業をはじめるきっかけになったリフォーム技術も、エレベーターの知識も、外資系保険で学んだ投資や金融知識も、実は新聞の知識だって未来の不動産には欠かせない要素を持っています。

日本で自分しかいないこの特別な知識で多くの人を幸せにしたい。

 

自分の信じる道に向かって、必要としてくれる人たちを幸せにしていきたいと思っています。

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