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【個人的なブログ】人生の恩人について

  • 執筆者の写真: 浦上利夫
    浦上利夫
  • 2024年3月22日
  • 読了時間: 11分

更新日:2024年10月18日

私は人生の最大の恩人に会ったことが無い。

でもこの人のおかげで自分は自分の生きる道を堂々と進んで良いのだと確信させていただいた。


変な話をするが、普通の人は


「もう一人の自分」


に気が付くことは少ないと思う。


この言葉だと意味が分からないし、意味が分からないがために気持ちが悪いと感じるだろう。

でも今から書くことは自分が体験した事実のことなので何も隠す必要が無いし、この文章を見られた後にどのように思われても怖くないので書いている。


まず最初に伝えるべきことは、自分はずっと汚い人間だと思い続けて生きてきた。

何か犯罪を犯したというわけではないが、無意識のレベルでずっと「自分は汚い汚い」と思い続けて生きてきた。

そして、それは今も続いている。


ただある日、それを思っている自分は、実は本当の自分ではなかったということを知った。

というか、体験した。


その日も妻に、自分ってなんでこんなに汚い人間なんだろうと話していた。

もちろん特に汚いことをしている理由があるわけではないし、妻も私を変人だと思っているので、また何か言っているよと言う感じだった。


でも、その日だけは違った。


妻に言った数秒後、


自分の意識の外側の、しいて言うなら自分を客観的に見ているもうひとりの自分という存在が


「汚い汚いと思っているのは自分自身じゃん」


と話しかけてきた。


言葉の周波数として聞こえたという訳ではなく、もう一人の存在が自分脳にそう言った。

位置関係でいうと、脳の数十センチ先くらいの斜め横上の場所で。

(上手く表現が出来ず申し訳ありません)


もう一人の自分って何?と思うだろうが、私は体験したのでそういうのは本当に要るのだと分かった。

そして分かりやすく表現すると、脳で物事を判断する自分と、自分の気持ちに正直な使命を持ったもの、いうなれば魂という存在になる。

魂というとまた伝わり辛いだろうが、言葉で表すなら魂という表現であり、これが本当の自分だということを知った。


今までずっと答えが分からず、この世界はなぜこんなにおかしなものなのかと悩んで生きてきたが、世の中の矛盾も含め、人間の本質とは何かと言うのがその瞬間に分かった。


自分が自分と思っていたものは、今までの生き様や周りからの環境に作られた偽りの自分であり、それをつかさどる中心は脳であるとはっきりわかった。


生まれて名前を付けられた時から、自分はその名前の人物として人から見られ生きていくことになるため、本当の自分ではなくその存在として無意識に演じることになるのだろう。


上手く言葉で表現はできないが、脳という物に支配されると、生存本能やDNAに刻まれた死なないように生きるという概念によって支配されてしまう。

新しいことをすると死ぬリスクが高まる、だから無謀と思えること挑戦が出来ない。

リスクを考えるから何もできない。

仕事すら変えられない、今この瞬間でも心に正直になれば変われるのに、自分なんかという感覚で脳に新しい領域に行くことを制限される。

無謀って何?って思うが、脳が勝手に新しい領域に行くことを無謀と決めつけるため、同じゾーンの中でほとんどの人は一生を生きていく。


人それぞれ生まれてきた意味があり、必ず何かしらの使命があると思っている。

この言葉に異論を唱える人も沢山いるだろう。

すぐに死ぬ人も使命があるのか?とか低い次元の話をいう人もいるだろう。

人間の体の細胞と同じで、不要なものは生まれない。

まだ全てを分かっているわけではないので、これは解決しなければいけない課題ではあるが、ただ核心として今話している内容の推論には自信がある。


あの日、もう一人の本当の自分が


「自分で自分のことを汚いと思い込んでるだけじゃん」


と言った言葉。

本当に驚いたし、やっと気が付いた感動でその瞬間に妻に


「やった!俺やっと気づいたよ!」


と言った。

当たり前だが、こんな旦那キモイし意味が分からない人間からしたら異常者だろう。

そして意味が分からないので、ふーんと言われたのを覚えている。


でも自分は嬉しすぎて、


「全ては自分が勝手に思い込んでいるだけだったんだ」


と妻に力説していた。


脳に支払いされているんだと知ったその瞬間から自分の生き方が変わり、自分の使命に気が付き、自分の心に素直に生きようと思えるようになった。


ただそれだけでは世の中の矛盾やこの不思議な世界のことが分からなかった。

どうしてもこの体験や、今までおかしいと思いながら生きてきたこの世界のことを知るために、点と点を繋ぐために、やばいくらいのレベルでYouTubeの幽霊の動画やスピリチュア系の動画、宇宙のこと、量子力学のこと、宗教のこと、仮想現実のこと、多次元のこと、本当に異常なくらい見尽くした。


そして出た結論が、今まで何十年と思って疑問を持ちながら生きてきた


「この世界は仮想現実の世界なんだ」


という所に至った。


ここまでくるといよいよヤバいやつになるが、イーロンマスクすら言っている仮想現実の現実性について、否定できる人間がいるなら私を言いくるめてほしいと思う。

今からたった数百年後には、人間はリアルを捨てて仮想現実で生きることになるだろう。

まさにマトリックスの世界であるが、人間リアルに生きることの方がつらい。

そして不老不死もいつかは出来るだろうが、そんなの出来たら生き続けるのは地獄の苦しみになる。

だからリアルを捨て、ゲームのような感覚で人間世界に遊びにというか修行というか、何かを成しえるために来るということになる。


こんなこと体験した人じゃないと信じられるわけもないだろうが、技術的には近い将来確実にできるので、宇宙が出来て138億年、人間が生まれたのは200万年、技術が発達したのはたった100年、この時間軸で考えるともうすぐ今話した世界がリアルに来る。


そんなことあるわけないじゃんという勝手な思い込みが脳に支配された典型的な答えになるだろうが、論理的に考えるとこれが異常な発想と考える方が異常だとも思う。


これは人がどう思おうと勝手なので、私は私なりの体験と学んだ内容から結論が出た。


ちなみに話を戻すが、恩人に出会ったその日も、仕事に行く前に時間を惜しんでYouTubeで世の中の矛盾について何か分かることはないのかと調べていた。


妻はキッチンで何かしていたが、私はたまたまお勧めに出てきたその動画を見て、


「俺、絶対この動画を見なきゃいけないと思う」


と妻に突然言い、


1時間20分ほどの動画だったで会社に完全に遅刻するが、でも絶対に見ないと後悔するという直感が働きその動画を見た。


妻も他のことをしながらまた変なの見てるなくらいで横目でかるーく見ていた。


その動画がこれである。


●要約動画


●フルバージョン



私はこの動画を見て、自分に起こってきたこと、経験をして感じてきたこと、この人が体験したことの全てがこの人とシンクロすると感じた。


自分がなぜ汚い人間だと思い生きてきたかの理由は、自分は心が死んでいる。

何かを達成しても心から喜ぶことが無い。


もちろん人の幸せは本当に良かったと感じるが、自分が嬉しいと思うことは無い。

大きな仕事が取れて嬉しい!とか、旅行をして嬉しいという感情も無い。

家族が増えて泣きながら感動するとか、嬉しいことがありガッツポーズをすることなどない。

色々と人それぞれ沢山感動する場面を感じられると思う。

ただ自分にはその感情が無い。


自分は完全な欠陥人間である。

完璧な人間などもちろんいないが、ただ、自分はこの感情が無いことでとても汚い人間だと思い生きてきた。

そしてずっと心が乾いている。

人に同情してほしいなんて微塵も思わないが、感動が無いというのはある意味地獄の苦しみかも知れないと客観的に思う。


動画でも言っているが、もう一人の自分に気づくには死ぬ経験をしないと絶対に無理だとはっきり言える。

それは病気かもしれないし、私のように生まれたときから死んでいないといけないと思う。


死生観が定まれば、未来や過去に囚われず今を生き切れる。

私は正直いつ死んでも怖くない。

元々死んでいるから当然だろう。

でも、この動画に出会えて自分の人生を生き切ろうと背中を押してもらえたことで、今、自分が見える未来のために行動しようと思えた。


馬鹿と思われるだろうが、私はGoogleをどう超えればよいかの未来が見えている。

明確なビジョンがある。

もちろんビジネスの仕組みや体制は出来ていないので、日々実験を繰り返している。

お金も無いため、今ある資金でできることをコツコツとしている。

でも、誰も行っていない気づいていない未来に向かってチャレンジしている。


死を乗り越えて自分の使命感に気が付くと、本当に不思議なことが起こる。


人と人とが繋がっている見えないものに何故だか気が付く。

そして未来が見えるようになる。

自分がずっと俺はおかしいのだろうかと思っていたことを、この動画の田坂さんが言ってくれたことで、自分と同じことを感じている人がこの世界にいたんだと本当に感動した。

それも世間的に認知された人が言ってくれたことで自信も感じた。


なぜこれを書いているか、その理由は自分のあふれる言葉を書きたいわけじゃない。

今これを見ている人に、自分の人生を生き切って欲しいからである。

自分の使命に気が付けば、怖いものは何もなくなる。

死ぬのだって怖くない。


死ということで家族と離れるのはもちろん寂しいが、それは怖いという感情とは違う。

死は仕方ないことで有る。

脳に支配されていれば、生存本能で怖いという行為は死ぬ可能性があるから制限をする。

脳で考えたリスクの96%は実際には起こらないと言われている。

そのリスクが怖いために前に進むのを止めるように出来ているのが人間であり脳なのである。


死ぬ経験があればこのリミットが外れ、今まで生きていた世界の色が変わる。

人にどう思われるか不安で、周りの変人と思われるのが怖くて、リスクを考えて自分の思った言葉を口ごもることも無くなる。

心に素直に思ったことをきちんと言えるようになる。

心の叫びを人の顔色を窺って我慢することが無くなる。


常識はもちろん大事。

でもそういうことを言いたいわけではなく、会社のホームページでこんな異常者と思われるような言葉を書くことも、これでキモイと言われてもそれは仕方ないと受け止める。


ただ、世界のたった一人でもこの文章で何かを感じて生き方が変わるなら、それだけで良いと思う。

その一人が世界を良く変える能力があるなら、結果として自分の使命は果たしたのと同じなので、それは喜びになるかもしれない。


自分は不動産屋だが、不動産屋をやりたいわけではない。

人々がどのような困りごとでも相談できる場所にただなりたい。

小さなコミュニティで、自分の目の届く範囲の人だけ幸せにしたいなんて、自分の力を過小評価して小さく纏まるような人間と同じ発想ではない。

やるなら全員を幸せにするためにどうするかを考えたい。

そんなこと出来るわけないのかもしれない。

でもそれに向かって進んでいる。


そのためには誰よりも誠実で信用できる場所でなければいけない。

自分が言うことには嘘が無い。

だから私が見定めて大丈夫と思えるサービスを皆に伝え、安心して生きていける情報の中心点になりたいと思っている。


だからお金の駆け引きなんてしたくない。

目の前のお金に支配されることなく、一生を支えてお互いに良い関係を築きたい。

正しいことをしているだけでもきちんと生活できるだけのお金は稼げると思う。


当社が広まれば日本中の不動産契約で手数料の概念を無くすことが出来る。

その場所は信用の中心点となり、困っているときに相談すれば寄り添い助けてくれる場所となる。

様々なサービスを通して、そんな安心できる場所を作るためにアンドフォートというネーミングにした。


アンドフォート = 安堵する砦


私が生きているうちはこの信念をもって続けていきたい。


沢山の仲間がいたらグーグルを超えられる。

そのために信用に足りる会社になれるよう努力している。


素晴らしい仲間のおかげできちんと前に進めている。


おかげさまで


皆様のおかげで


人に生かされているからこの言葉が良く分かる。


誰にも感謝されたいとも思わない。


経営なんて社長の自己満足だけである。


それに従業員さんも巻き込んで、社長のエゴで自分がお客様のためになると思えることのためにただ突き進む。


だから絶対に一緒に頑張ってくれるメンバーも幸せにしたい。


みんな含めて、人のために生きていきたい。


道は険しいが山の頂上まで行く地図は持っているので、今日も後悔の無いように生きていく。


毎日毎日波乱ばかりでちょこっとずつしか進めていないが、この山を乗り越えていつか絶景を見てみたい。


きっとその時初めて、生きていることを感じるのかもしれない。


そんなことを考えながら、限りある人生を今も歩む。

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