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第7話 社会人時代(佐賀新聞編)

更新日:1月24日

東芝エレベータの初代社長の孫ということで鳴り物入りで入社した私。 そして、ここに自分の居場所は無いと感じ次のステージに選んだのはなんと、将来性が全くない新聞業界であった。


縁あって佐賀新聞唐津東部販売店のオーナーを任せてもらえることになり転職したが、新聞社は別として、新聞販売店なんて貧乏人がする仕事だろうと思われがちだ。

しかし私が経営した販売店は市場環境が良く、年収が1600万を超えていた。 そう、新聞屋は儲かる職業だったのだ。

しかし、新聞屋になりたいと言っても簡単にはなれない。 佐賀新聞の場合は、まず販売店をするための権利を新聞社から買わないといけない。 その当時は1部当たりの月額購読料は2905円だったので、2905円×配達件数分を権利という形で買わなければいけないのだ。

例えば私がしていた時は1500部くらいだったと思う。 1500部×2905円=4,357,500円がまず必要である。 そして保証金というものも必要であり、こちらも4,000,000円ほどかかる。

運転資金うんぬんの前に上記金額を用意しないと話にならないのだ。

そしてそこから最低でも運転資金2か月分、そしてチラシ折込機などのマシン代も含めるとまた数百万かかるので、とりあえず私は1800万円ほど調達をした。


いざ新聞屋をすると、最初の試練はマシンの扱いである。 新聞屋なんて新聞配達をしてればよいと思われるかもしれないが、昼間に夜新聞が到着したときにチラシを折り込むための準備をしなければいけない。

この作業が本当に大変だった。


朝10時過ぎに様々な会社のチラシが届く。 会社ごとに塊で来るため、1枚1枚チラシをミックスしていく必要があるのだが、これが超肉代労働なのだ。 紙は季節や湿度等で全く違うものに変化し、静電気なんかあろうものなら全部がくっついて剥がすのが本当に大変である。

紙に風を送り込むために通称ブルッタ君というブルブル震えてエアーを送る素晴らしいマシンがあるのだが、それを使いこなすのも熟練の技術がいる。

私はこのチラシをマスターするためにひたすら研究を重ね、最終的には紙と対話するという神のレベルまで達した。


紙は生き物である。 風を送り込むために愛情をこめてこねくり回さないといけない。 少しでも愛情不足だとヘナヘナとしなり紙の間に風が入らない。 これが出来るかできないかで同じ作業で数時間変わってくるのである。

そして20段ほど積み込めるマシンに1社ごとのチラシを突っ込みボタンを押すと、チラシがひとまとめになるのだ。 このまとまったチラシを夜新聞が届いたときに手で入れて配達に行くのである。

感覚値であるが、昼間の仕事が8割、夜配達に使うエネルギーが2割という感じであった。


昼間の作業はただ黙々とチラシとの真剣勝負を強いられる。 そして、それが終わると営業に出かける。 新聞を持ってエリア内の各家庭を突撃訪問し、無料新聞を配っているので読んでくださいという。 エレベーターの時の押し売りを思い出すが、あれに近い修行のような仕事である。


ちなみに新聞を読んでいる人は好みがはっきりしている。 読売が好きなのか朝日が好きなのか、はたまた毎日か西日本か日経か産経か。 そんな好みが決まっている人間に突撃し、佐賀新聞のファンに変えようとする試練。 例えるならmacが好きな人にWindowsを売るようなものである。


そして1番困ったのが、新聞屋は本当に悪どい。 90歳を超える老人に10年契約を行っていたりするのだ。 普通の家でも5年契約などざらにあり、一生懸命頑張っても5年先の契約しか取れないのである。

ただでなくても衰退するなかで増やすというのは至難の業である。

そんななか私は新聞屋をやっている8年間ずっとNO1の成績を出した。 部数も延ばし、一時期は営業に使う新聞が無くなり新聞社に特別に送ってもらったものだ。

ちなみに新聞屋は、新聞社から新聞を買ってから販売している。 そして毎年上積みノルマが与えられ、契約が減っていようが半ば強制的に無理やり増やして買わされる。

この業界は狂っているようなことが普通にある。

理由を言えばまた多くの問題を起こしてしまうので今は控えようと思うが、この業界は完全に終わっている。 新聞社は一応主要メディアの一つとして君臨しているようになっているが、だから信用できると思っているその考えは無くした方が良い。

まぁそんなことを言いながらそれなりの年収を貰っていたから、その点は感謝をしていたりもする。

ちなみに新聞の思い出をいくつか話すと、私が新聞屋をしたすぐの時にチャンスと察して西日本新聞の販売店から総攻撃を食らった。

西日本新聞に変えてくれたら半年契約で半年無料サービスをつけるということや、ビールも何ケースも付けるというもので解約が続出したのだ。 1年契約をすると、その半年分は無料にする?

なんだそれ。 そして物で釣り契約を取る馬鹿な人間たちの集まりである。 完全に公取が入るようなアウト案件なのだが、そんなこと毎日も行っていたし、どこでもあるのが新聞業界の普通である。


私は売られた喧嘩は買う方なので本気で戦った。 エリアを全件訪問し、どの家にどのような人が住んでどのような家族構成でキーマンは誰かなど細かくデータを取りをし継続フォローをした。 そうして地道ではあるが契約を取り続け、最終的にその販売店を廃業に追いこんだ。

勝負の世界は生きるか死ぬかである。

どのようなビジネスでもそうだが、例えばライバル会社から仕事を1件取るとしよう。 契約を取って喜んで達成感を感じて終わり、それが普通だと思う。 1件のその背景まで考える人間は少ないだろうが、例えばその1件があることでその人は爺ちゃんばあちゃんを養っているかもしれない。 小さな子供を育てているかもしれない。 自分が仕事を取り続ければ、その家、その家族を殺すことになるかもしれない。 そして命がけの反撃があることも想定しなければいけない。 私は仕事をするときは命がけでやっている。 極端な話、やるかやられるかくらいの覚悟でやっている。 今はたまたま不動産屋をしているが、まさにその思いで取り組んでいたりもする。

時が時なら、刀を抜いて戦いに来たのであれば、戦わないとやられるだろう。


新聞のライバル店が廃業になる少し前、私はその販売店に乗り込みオーナーと直接話をした。 その時は辞めることなど分からなかったが、違反の契約があまりにも酷かったので乗り込んで直接対決しようと思ったのである。

佐賀新聞の仲間内でもあいつは危険だから喧嘩するなと言われていた。 新聞屋にはまともじゃない人間がいたりするし、反撃が凄まじいためそういう意味で危険ということだったのだろう。


直接店舗に乗り込むと、そいつがいた。 名前を名乗ると向こうも私を知っていたので何しに来たのか聞かれた。 要件は向こうも分かっている。 なので、今日来たのは


「うちと本気で戦う気なの?やるなら本気でやろうぜ」


ということを言ったと思う。 違反しようが何しようが別に構わないけど、やるならこっちも容赦なくやるよということを言ったら、向こうもやろうということを言った。

お互いに戦うという宣言をしたら話は早い。 自分の中でも別に良い悪いはもうなくなり、やるかやられるかに切り替わった。 そして本気でやってやると決め気合を入れて帰った2ヵ月後、その店は廃業した。

私が行ったときはすでに廃業を決めていたようだ。

唐津にある全部の新聞社のなかで1番大きい店。 佐賀新聞の他の販売店仲間にも戦っても勝てないから止めろと言われ、新聞社からもやめろと言われていたが、数百の契約を奪ったことで戦いに勝つことが出来た。


もちろん運が良かったというのもあるし、私だけの成果でないのは十分分かっている。 時代の流れで新聞の購読者自体が減ったことも大きな要因だ。 それに新聞に入る折込チラシの収入が落ち込んだのも一つだろう。 でも、唐津で1番大きい販売店を倒したときは嬉しいというより、なぜか複雑な気持ちになった。


直接会ったとき彼は自分に、


「俺は今までいくつもライバル店をつぶして今があるんだ」


と豪語していた。 それは仲間からも聞いていたので本当のことだろう。 でも、廃業を決めていたであろうその場でもそのようなことを言うのは、かつてイケイケで勝者として君臨していたことを想像すると、最後の強がりは空しく感じた。 書きながら、確かにこんなこともあったなと思い出にふけっている私だが、別に戦いを好んでいるわけではない。 世の中の矛盾に対し変えなければいけないと人より強く思う方なのである。


ちなみに新聞屋をやって良かったと思うことは、配達後に夜景と朝焼けを見たことだろう。

人間って本当に不思議だ。 例えば夜景の光はすごくきれいに感じるが、その一つ一つの光を凝視したら、ひょっとしたら喧嘩をしていたり、暴力をふるったり、悲しい光もあるかもしれない。

でもそれも含め綺麗と感じる。

まぁそこまで考えることが無いだけかもしれないが。

ある意味、何も本質を見れていないということを表しているのだが、でもその全てを含め綺麗と感じられるのって良くも悪くも人間に与えられた才能だと思う。 きっとすべてを直視すると人間は耐えきれないんだろうな。


それと皆が寝静まっている早朝の配達が終わりバイクで帰る田んぼ道。 誰もいない、空気も凛として自分だけが世界にいるような感じがする中で、50ccのバイクをかっ飛ばし朝日を浴びる。 あんなに綺麗な朝焼けを見れたのは新聞屋をやって本当に良かったと思える一つである。


ちなみに点と点を繋ぐ発想力の話をするが、新聞屋がこれからも生き残るためにはどのような方法を取るのが良いだろうか。 地方紙というところで私が考えた唯一の方法はこれである。


私が佐賀新聞に提言していたのは、佐賀県中の全ての世帯に新聞を無料で配ることしかないということを言っていた。 そうすれば様々な新聞がある中で競争が起らなくなる。 そして佐賀新聞に広告を載せる=100%全世帯に広告が行き渡るため、無条件で新聞紙面の広告価値も上がりチラシの量も増大するため、県内の広告業を完全に掌握することに成功する。


ただそれだけでは地盤が弱いため、1店舗1事業をするということも提言していた。 佐賀新聞の中で多角経営をすることの承認を得られた第1号が私であるが、例えば保険会社をする店舗があっても良いし、水道工事会社でも電気工事会社でもハウスクリーニング会社でも不動産でも何でもよい。

人々の生活を支える領域を網羅し、最大のメリットである佐賀県中の全世帯に無料でチラシを入れられるポジションを生かせば、今日は保険、今日は不動産、みたいに日替わりで自社のサービスを宣伝すれば新聞で稼ぐお金よりも大きな利益を生み出せると思う。 特に私が今行っている無料不動産なんか宣伝したら、佐賀県中の引っ越しは一瞬で無料が当たり前になるだろう。

ちなみにいうが、無料でもちゃんと儲かるのが不動産である。

そして全方位的なサービスの共同体を作りノウハウを共有をすることにより、地域の断トツ店を作るのも難しくないだろう。

1事業に専念し日銭を稼ぐことも大事だが、そこから得られるデータの方が本当はとてつもなく重要なのである。

そんなことをずっとやろうと思ったら、テレビCMで流れている暮らしのマーケットに先を越されてしまった。 あちらの操業が2011年だからほぼ同じ時期になるが、同じことを考えている人がいたんだと後から知った。 この話はまた後日リフォーム業をしていた時の話で詳しく書くが、私は新聞業界を救いたいという考えだったからミクロ的な考えであった。 暮らしのマーケットはどちらかというとマクロ的な考えで市場をとらえ拡大していった。


ちなみに私は何度も利用したことが有るが、唯一の欠点は、業者のスキルやレベルなど実技審査などしないため、加盟店が安かろう悪かろうというのは相当あった。

不用品回収も普通に掲載しているが、あれもある種の法律違反だ。 一般家庭から出る不用品は一般廃棄物という扱いなので、産業廃棄物と異なり役所に登録された業者しか本来回収は出来ない。

でも色々な抜け道的な形で普通に募集している。


そして何よりこのサービスの1番の問題が、普通に仕事が取れない人間が暮らしのマーケットに登録して安売り合戦をしている。 1番注文が取れる人は当然1番安い人なので、2番手になれば仕事が来ない。 仕事が来ないからまた下げるという具合で、今なんかエアコンクリーニングは一台5000円である。 暮らしのマーケットは無条件で2割を抜くため、税込み4000円で請け負ってやっている。 はっきり言って頭おかしいんじゃないかとさえ思う。 こういう流れが日本の低賃金化を助長している、だからこのサイトを私は正直好きではない。


単価が安くなれば質が落ちる可能性は高くなる。 質が落ちないように出来れば一人勝ちできるが、これは相当な覚悟と仕組みを作らないといけない。 だからこそ新聞事業と絡め、広告代で中抜きなどされずに自社ネットワークで全てを保管できる1店舗1事業をしたかった。


新聞を生き残らせるために私は多角経営にチャレンジしたが、残念なことに他の店舗は誰一人、後には続かなかった。 正確に言うと、したくても資金的に限界が来ており、もうすでに手遅れだった。

私が携わった業界が衰退していくのは見ていて本当に忍びない。

そして思うのは、自分たちのエゴで出す記事ではなく、読者と双方向で繋がる紙面にしてほしかった。 意外と知られていないが、新聞紙面に載っている写真は購入することが出来る。 特に、記者が撮影したスポーツ大会の写真が本人の同意も得ず販売されたりしている。

そんな感じで肖像権を売るなら、とことんやる感じで、一般のカメラ好きな人に色々な大会やイベントの撮影をしてもらい、販売の窓口を提供してあげたら記者が撮影するより凄い量で質の良い写真が集まったろうに。 撮影協力した人も小遣い稼ぎが出来つつ販売が自分の評価につながるため、またやる気になるからより質の良い写真がたくさん生まれる。 買いたい人も自分の子供の写った最高の写真が沢山あれば買うだろうし、皆が参加できる場所が出来る。

双方向のコミュニケーションが新聞業界には必要だと伝えたのだが、私の力が及ばずこれも実現しなかった。


どの業界も変わるというのは難しい。 人間の本能として変わるというのは出来ない構造である。 動物の世界で言えば、今までと違うことをすると死ぬリスクが高まる。 だからそんなことを脳はさせようとしない。 だから転職も出来ない、構造改革が出来ない、新しいことにチャレンジも出来ないのである。


不動産業界もチャットGPTでは消えるランキングに入っているし、私も消えるのは時間の問題と思っているので、手遅れになる前に生き残れるように頑張らなければいけない。


ちなみに余談だが、佐賀新聞は夕刊がない。 そのため生活リズムは非常にやりやすかった。 深夜1時に起きて新聞が到着するのを待つ。 1時30分に新聞が到着すると同時に新聞にチラシを入れる。 2時くらいから配達員がちらほら来るから、ひたすらチラシを入れる。 3時には入れ終わり自分も配達に出かける。

私はコンビニ廻りと鏡山と言う所に毎日登った。 深夜3時の鏡山。 2箇所に入れるためだけに往復1時間、赤字である。 そして、誰もいないから怖い。 たまに何故か懐中電灯も付けずに徘徊している人がいたりする。 最初は怖かったが、いつからか顔馴染みになり多少ではあるが会話するまでになった。 トラブルが無ければ全てが終わるのが4時。 ここから朝ごはんを食べて寝る。 そして10時に起き、チラシの枚数にもよるが15時くらいまでマシンでチラシの丁合。 そこから営業や集金に行く。 完全に落ち着けるのが20時。 ご飯を食べて風呂に入って寝るのが22時。 それを355日繰り返す。

だから1600万もらっても当然と言えば当然かもしれない。


電話も24時間かかって来るので、眠りながら電話を取り会話をするテクニックを覚えた。 聞いたことは頭にはうっすらとしか覚えていないが、なぜか無意識にちゃんと紙に書いている。 そして寝ていたのに、さも起きていたような元気な声で電話に出る特技まで習得した。 こんな感じになれたから、今も昼夜問わず仕事を休まずやれている。 エレベーターもそうだが、新聞は実は不動産屋とめちゃくちゃ凄い親和性を持っている。 エレベーターと新聞と不動産、この知識を持っているのは日本に私しか居ないだろうが、不動産屋が生き残るためにはこの組み合わせはとんでもないくらい大事だったりする。

その話はまた後日お伝えするとして、新聞屋は過酷だと言うことを話しました。

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