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執筆者の写真浦上利夫

第5話 大学時代について

更新日:1月25日

宮城県から北海道の函館大学に進学することが出来、初めに住んだのが大学推薦のあった下宿であった。

ここは10部屋ほどあり、高2で買った400ccのバイク(ZZR)を引っ提げて生活を始めた。

最初にここに住めたことは本当に貴重で、この年は4人の新1年が入居したが、全員がサッカー部という不思議な縁に恵まれ非常に楽しい生活であった。


細かいことを言うと色々有り過ぎるから割愛するが、サッカーに明け暮れた1年生、そして高校の時にあれほどキレキレの動きが出来ていた自分が高3の夏の大会を最後に全く練習をしていなかったことで、信じられないほど下手糞になって実力を発揮できず評価もされない最悪の1年間でもあった。


そんなこんなで1年生が終わるとき、下宿ではなく一人暮らしを経験したいと思い両親に相談し引っ越しをすることになった。 新居でも隣の部屋にはサッカー部の仲間が住んでおり、とても良い環境で生活をすることが出来た。

ただ、サッカーでは思う動きが全くできず、あれほど自信を持っていた特技が無くなり自暴自棄のような思いもあった。


小卒のような知能しかないし、たまたまサッカーが上手かったので入れた大学で、それが全く発揮できないということは自分自身が不要という思いで本当につらかった。


そんな時に出会ったのが、パソコンである。 1998年~1999年に初めて大学のパソコン室で世界の情報に触れられることができ、インターネットの凄さに感動したことを今でも覚えている。


ただでなくても当時の大学でパソコン室に篭りインターネットをする人間なんてほぼ皆無であり、それも運動部の人間は特にめずらしかった。

ただ、この奇跡の端末と出会ったことは今の自分を形成していると言っても過言ではない。


超低スペックのデスクトップパソコンでも最低20万はする時代。 一流メーカーのものは手が出ないため、SOTEC(ソーテック)という中国製のパソコンを買い、3分10円かかるダイヤルアップでひたすら節約しながらインターネットをした記憶がある。


昼間は大学のパソコン室、家では深夜にNTTが出していたテレホーダイなる23時から朝8時の間だけ定額で繋ける回線を引き毎夜パソコンに明け暮れていた。


その時1番楽しかったのは、バナーズというサイトでゲームをすると小遣い稼ぎができ、1日10分で1000円を確実に稼げたので一生懸命やったことを覚えている。

それと女の子と知り合いになりたいという男のさがで、出会い系の原型であるメール友達を作ろうというサイトに登録し女の子にメールを送っていた。

ただ、その時はとても純粋でやましいことをしたいとかではなく、素敵な人に出会えたらと思いメールをしていた。

返事が来てるか気になるため、1回繋ぐと3分10円の通話料がかかるが、何度も何度もお金を気にしながら返事が来ていないかな?なんて接続していた頃が懐かしい。


またその当時はネット証券も始まりだし、大学2年生で証券口座を開設し、ジェット証券という会社で株取引もしていた。

ヤフーの将来性が見えていたので買いたかったが、当時100万円したため買えずに、親会社であるソフトバンクの株を買ったものだ。

今まで持ち続けていたら100万円は数億円に変わっていたが、人間、欲や煩悩があると気になってしまい売ったり買ったり利ザヤを稼ぐことばかりして本当のチャンスを逃してしまう。


今であれば心から言えることがあるが、株は信じた銘柄を買い、そして寝かせる。 それが大きく儲けるためのコツだと悟った。


それとメルトモを探したことで学んだことがある。

メールのやりとりの次のステップは電話になるのだが、携帯の通話料が最安でも1分40円の時代、女の子とついつい長話をしてしまい1時間話すと2400円…。 大学生の自分には大金であったが、通話料を稼ぐためにアルバイトをしたりもしていた。

そんな中、今も自分の特技となっている情報の収集力と分析力がこの時から発揮された事例があった。


女の子とどうやったら長話が出来るかを一生懸命考え、調査し、そしてたどり着いたのが、当時のWindowsに搭載されていたNetMeetingというソフトウェアだった。 これは超簡単に言うとLINEやズームと同じだと思ってよい物である。 ipアドレスを直繋ぎするシステムであるが、56kbpsの時代にこんなソフトを作るマイクロソフトが本当にすごいと思った。

通信速度が遅いため通話品質は非常に悪いがテレビ電話機能まであり、20年以上前から今の世界を見ていたマイクロソフトの凄さに驚くばかりである。


他にも世界の人々とチャットが出来るソフトとしてICQというものもあり、これで世界の人と出会えたことも今の自分の原型になっている。


ちなみに私の卒業論文はインターネットの将来と無料通話の標準化について述べていたのだが、私はNetMeetingに出会ったときにこの機能が確実に携帯に組み込まれLINEのようなものが出来ると友達にも言っていたらしい。 最近大学時代のサッカー部仲間と思い出話をしていたときにそのことを言われた。


「ウラ(私の名前)さ、誰もパソコンなんて興味ない時代に1人未来を見てたよね。だって大学時代にLINEが出来るって言ってたじゃん」


と言われたときに、あっ、確かにそんなこと言ってたなと思い出させてくれた。

友達曰く、LINEが出来たときに奥さんにウラが言っていたアプリが本当に出来た!

と会話したんだと教えてもらったとき、本当に嬉しく自信になった。


LINEが出来たのが2011年。 私が話したときは2000年くらい?なので、他にも同じことを考えた人は世界中に沢山いたと思うが、日本の中ではまだまだそんなに多くなかったと思う。


最近、本当のことだから馬鹿と思われてもいいやという気持ちで話すのだが、自分は5年先くらいの未来はほぼ確実に、と言うか今まで100%予測することが出来てきた。 これはスピリチュアルや怪しいことではなく、世の中に出ている沢山の情報を収集して、その点と点を繋ぎ合わせることにより、起りうる未来をぼんやりというレベルではなく、超鮮明に目の前に描くことが出来る。


これをなんて表現していいか分からないが、真剣に考えたことは映像として目の前というか、頭の中ではあるが視覚的な感覚として目の前の映像として見ることが出来る。

その映像は不思議なもので、人物が喜んだり感動しているところまで見ることが出来たりする。


人は色々な能力を持って生まれてきていると思うが、これがあることはたまたまだとしても何か特別な意味があるのだろうから、貰えたのはラッキーだった。


正確に言うと貰ったなんておこがましい話なので、与えていただいたという表現の方が正しいが、この力で沢山の人の助けになれたらいいなと思いながら生きている。


だいぶ特殊な話になってしまったが、大学でサッカーに挫折し、それがあったからパソコンと出会い、パソコンの中のインターネットという無限の情報に触れることにより情報の点と点を繋げるという特技がかみ合わさり未来を見る力が強くなったという話である。


大学時代は初めての大恋愛もしたのだが、そういうのはまた小出しにしてしまうが、大学卒業を境に自分という人間は汚い存在で生きている価値もなくいつ死んでもいいと思えるところまで考えるようになっていく。


ちなみにうつ病とか病気というそういう意味ではなく、人間というのは本当に馬鹿な生き物であり、特に脳みそというものはその塊であると思っている。


一例として、普通の人は人間であるということを他の生き物と比較しとても崇高なものと思い込んでいるケースが多い。 そして人間はとても知的なものだとさえ思いこんでいる。

でもそれって何故そう思うのだろう。

自分が何者かも分からないのに、自分のことを知った気になって、人のことすら知った気になっている節がある。

でも実際にあなたはどこにいるのだろうか。 自分自身が何たるかを本当にわかっているのだろうか。


例えば自分の感情や心は脳みそにあると思っている人がいるが、じゃあその脳みそのどこの部分に自分は居るのだろう。


人間を少しずつ分解していけばミクロの世界に到達する。

最終的には原子よりも小さな量子になるが、そこのどの部分にあなた自身はいるのだろうか?


脳の細胞は毎日生まれては死んでいく存在であるが、毎日死んでいくのにどの細胞にあなたの意志はあるのだろうか。

細胞の生死すらもコントロールできない、自分の意志で心臓を止めたり動かしたり出来ず無意識にコントロールされているのに、自分が自分の意志で生きているのだと考えることすらおかしいのだと気付いてほしいと願っている。


それと同じで、人間が馬鹿だと思う理由は五感だけを信じるというところにある。 目で見て耳で聞いて、匂いを嗅いで触って食べて、それだけで世界の全てを感じているかのように振舞っている。

しかしその考えであれば、何故目に見えない臭いなどの存在があると認識できるのに、幽霊などは理解しようとしないのだろう。

それと同じで、無である宇宙空間から光が届いていることもそう。

光は何かに反射することで視覚的に認識される。

そして太陽の熱に関しても毎日暑い寒いと言っているが、そもそも無である存在の宇宙から何故熱が届くことを普通に思っているのだろう。

普通に考えてあの距離を熱が届くっておかしくないか?

と、なぜ皆が疑問に思わないのか本当に不思議である。


テレビも携帯もそう。 電気の波が何故映像や音声を届けられるのだろう。 人間の体が動く原理も、脳からの電気信号の伝達で動いている。

全ては電気、すなわち電磁波で成り立っている。

そして人間の基本的な構造はロボットと同じである。


目に見えないものの方が情報量としては多いのであれば、自分自身も実は物質として存在していないと思うほうが理に適うのではないかとさえ思う。


自分が生まれてきた意味にしっかりと向き合うことにより、人との優劣とかではなく、究極、自分の人生は自分だけのものだから、外的要因に左右されるのではなく自分の信じる人生を生き切るということが最も大事なことなのだと思う。

テレビを見て、「またあの政治家が馬鹿な発言をして、なぜあんな馬鹿な人が当選するんだ、一般人でも言わないことをよく言うよね、ほんと馬鹿ね」なんて言っているが、そんな馬鹿な政治家にコントロールされ、自分たちの生活が良くも悪くも作られていることに何故気が付かないのだろうか。


あの政治家馬鹿ね、なんて言っている自分の方が実は馬鹿だったということに気が付かない世界。

これは人間の本質であり、こんなのだから金持ちはいつまでたっても金持ちで搾取する立場はずっと変わらない、そんな上流の人間にコントロールされているとさえ感じないでコントロールする側を馬鹿にする、そんな寂しい人間になってはいけないと私は思う。


要するに、全ては情報弱者という大多数の人間が下流にいて、情報を探しに行かない、探し方が分からない、だから搾取されていることにも気が付かない、嘘のニュースに騙されてそれを信じてしまう。 そんな人間の頂点には少数の頭の良い人がいて、無知な者をコントロールしながら搾取を繰り返す構造になっている。 大多数の人が、そんなこと言ってもどうしようもないよね、というのは仕方のないことではあるが、自分は人間として生まれたからこそ幸せという定義をどうすれば最良にできるのかを考え、どうすれば皆が幸せに感じられるように生きていけるかにチャレンジしている。


そしてその課題の最重要テーマであり悲しい現実でもあるが、お金という存在に振り回されて、本来の生まれてきた意味すら気づくことが出来ず終わっていくという部分が解決すべき本質の課題だと思う。


サラリーマンなんかは良い例だが、生活のためだけに辛い会社に行き、そして愚痴を吐く。 そんなに嫌ならやめればいいのに、俺はつぶしがきかないから辞められないと自分の可能性すら閉じ、ただ盲目にご飯を食べるためだけにお金を稼ぎに行く。 自分の生涯所得を決められ、ある種、自分の価値自体が決められたレールの上でただ食べるためと、そして次の呼吸を継続するためにひたすら生きている。

そう考えると人間って他の動物や虫と同じ存在だということに気が付くと思う。 いや、虫や動物のほうが必死に生死と向き合って生きている。 人間は特別ではないし、でも生まれた意味は必ずあるため、何をする必要があるのかそれに気が付いてほしいと私は願う。


人間は必ず死ぬ。 そして人生は1回しかない。 そしていつ死ぬか分からない。


自分が生まれてきた意味すら考えることもしない、人を蹴落としていかないと生きていけない、人と優劣をつけて優越感を得て一瞬の幸せを感じる。

それって本当に悲しいことだと思う。

自分はそんな世の中を変えたいと思っている。 変えられるならいつ死んでも良いという覚悟はある。 自分から死ぬつもりはないし、殺されたくもないが、ただ常に覚悟は持っているし死ぬことは怖くない。 そして心はいつも乾いていて、自分が汚い存在だといつも思っている。


なぜこういう思いをもっているかはまた次回以降に書くが、自分はどうなっても良いから、世界は幸せであってほしいと心から思う。 そしてお金という概念から多くの人を解き放ちたいと思っている。

別に宗教に興味もないし修行僧でもないが、生きていること自体が修行であり、沢山起こる困難も全て修行だと思っている。 世界はマトリックスのような世界であり、人間というゲームを楽しむために生きているのではないかとも感じている。


もう変態だとしか思われていないだろうが、そういう結論に至った不思議な体験だけは、人が理解してくれなくても自分の身に起こった事実なので、そういうのをまた今度書きたいと思う。


今回は大学時代の話しではあるが、大学時代に未来を見る方法を得たというものが今に繋がるスタートなのでとりあえず書いてみた。


というか、仕事も忙しいので頻繁に更新が出来ないが、また2時まで書いてしまったのでそろそろ終わりにする。


とりあえずこういう言葉も脳みそを使って書いたら駄目だと思っている。 脳みそは上手に使う必要があるが、真実は無意識の中にあると思っているので、また余裕があるときに無意識を使って書こうと思う。

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