【個人的なブログ】幸せの定義とは
- 浦上利夫
- 5月28日
- 読了時間: 6分
今、久しぶりに文章を書いている。
最近はチャットgptを活用しているため、自分の文章がより見栄えの良いものに変わっている。
自分では良く分からないが、たまに、というか、良くこの日記を見てお客様が来店してくれる。
こんな大したことない人間のこんな文章を見てきてくれて、そしてブログ見ましたと言ってくれる辺りが相当変な人だと思うが笑、でも、すごくその人たちに心から感謝している。
自分がここで書く意味など正直理由は無い。
誰かに称賛されたいとも思わないし、むしろGoogleの様に誰にも感謝されずに当たり前の存在となり仕組みの一つになりたいと思っている。
それは具体的にどういうことかと言うと、人間臭さを出さずに、皆が騙されない正しい情報に触れることが出来、そして、それがあることを巡り巡ってどこかで笑顔を作れたらそれだけでいいと思っている。
会社経営など自己満足の象徴である。
自分の目指す世界を作るために、仲間を同じ船に乗せて進んでいく。
その未来がどうなるかも分からず、ただ信じた何かのために前に進んでいく。
自分は、これをしなくてはいけないという、良く分からない使命感が降ってきたからそれに従って歩いているが、それが正解かは分からない。
それを決めるのは自分では無くて皆だから。
自分の感覚が多くの人と共感していたらそれが正解という訳でもないし、むしろ集団的意識の方が誤った情報により流され、人として生きるうえで間違っている事すら多分にある。
それの象徴は資本主義という世界観なのかもしれないが、じゃあ何が本当に正しいかはほとんどの人は見つけ出せないだろう。
私は、その答えを知っている。
それは、各個人の中にある、自分の中の正しいと思うことが正解であり、誰かに同調したり流されたりするものではないと思っている。
お金があったって、地位や名誉があったって不幸せない人は沢山いる。
高級車に乗ってたとしても、それで何か偉いわけでもない。
自分より安い車に乗っている人間を貧乏人と思う感情がほんの少しでも起こるようなら、そんな人間は終わっている。
ただ、それを終わっているなんて言えるかなんて、1度お金を持たないと分からないことだろう。
何か大きな挫折が無いまま運良くお金が入ってきたら、それはそれで本質は分からないと思う。
お金を持つことも持たないことも実体験として持てたら分かることかもしれないし、実際にそんなことが起こらなくても、頭の中で事実と認識できるほど強くイメージを持つことが出来たら、それは体験したことと同じになる。
目に見えることだけが事実ではないし、現実でもない。
自分が五感程度しか感じて無い中で、それだけが世界の全てだと思っていることを変えたい。
目に見えない所に大切なものがあると思う。
例えば、自分だけが好きな曲を一人だけで余計なことを考えることもなく聞けたときは幸せだろうし、それか、サウナでも温泉でもいいけど、それを体験できた時、その瞬間は多分世界で1番自分が幸せだと心と体で感じられるようになって欲しい。
そして、当たり前すぎて忘れている、今ある日常の日々や時間は永遠じゃないということを知って欲しい。
今自分自身に起こっていること全て、何かの意味が必ずあって、勝手に怒っていることではない。
確実に必然として起こっていることに気づいて欲しい。
もしそれが分かれば、この世界は捨てたもんじゃないと思えるし、例えば明日、空が晴天なだけでも世界で俺は1番幸せだなと感じられるかもしれない。
不動産屋をしていると、特にこの世界のいろんなことが見えてくる。
人間のエゴもそうだし、欲もそうだし、不安な気持ちも見えてくる。
不動産が絡むという小さな次元ではなく、その人の生き方そのものが見えてくる。
生きるとは何をすることが正解なんだろう。
そんなこと本気で考える人など少数だろうが、これって結構大事だと思う。
自分の夢を言えない人ばかりの世界。
叶えたい思いすら即答できない抑圧されて洗脳された世界。
近い将来、必ず来る終わりに近づきながらこの文章を見ている人がいるとしたら、貴重な命の時間をこんな文章を読むために使ってくれている人がいるならば、その人に何か繋がればと全力で思うし願う。
自分は、やらなきゃならない自己満足のために出来ることをやって何かを変えようと思う。
出来る、できないは人に何を言われてもどうでも良い。
ただ、今までやると決めたことは必ずしてきたので、今回も必ずやる。
きっかけは何でもいいと思う。
この拙い文章でもいいし、この文章からどこかの点と点が繋がり、自分が心から思っていたこと、願っていたこと、叶えたいこと、理想と思っていることのために、勇気を出して一歩進めてもらえたら、あなたが次に続く人の道しるべになると思う。
幸せはお金じゃない。
馬鹿な脳がそう思わせているだけであり、幸せは目の前に沢山ある。
子供の笑顔でもいいし、自分が生きているだけでも、それが人の幸せになることも有る。
思いやりをもって、人が笑顔になれる世界のために小さなきっかけを作るのが自分の使命。
きっかけなんて見えなくていい。
不動産に限らず全ての領域でお金のない世界を作るために会社を作り、仲間を作り、仕組み作りをやっているが、誰にも感謝されなくても、0円になることで、そのお金が何かの笑顔に繋がればいい。
生まれてくる子供の為でもいい。
幸せを感じられる家のためでもいい。
それか、0円になることで見たこともない誰かのために、100円でもいいから募金をするのでもいい。
その100円が、絶対必ず形を変えてその人に戻ってくる。
人のために生きることが、自分は大切だと思う。
このしょうもない脳だから出来ることは限られるし、生まれ持った特性だから簡単に変えられない。
でも、それでも人のために生きることが良いことだというのは分かる。
自分自身が沢山の人に助けられて生きてきたからこそ、これだけは本当に分かる。
何度も同じようなことを書くが、この文章が何かのきっかけとなり、巡り巡ってどこか世界の見たこともない人の役にたてたらいいな。
バタフライエフェクト
誰にでも何かを変えられる可能性がある。
繋がる人すべてが良い方に進んで欲しい。
今、好きな曲を聴きながら久しぶりにこんなブログを書きました。
自分でもクセー文章書くなと思うけど、自分はいつも本気なので、そういうやつがいるのもこの世界だと受け入れて、自分もその世界で生きてるんだよなということも感じて、思いやりで許容してもらえたらこの世界はより良いものになると思います。
まぁ自分のことなどどうでも良いので、私以外の沢山の人のためにお願いします。
そして自分自身のために、綺麗な人間で居続けるためにお願いします。
人の幸せが自分の幸せに感じられますように。